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2021_1107_150712_京都バス

写真: 2021_1107_150712_京都バス

写真: 2021_1107_150938_一の鳥居 写真: 2021_1107_150624_貴船口駅

京都バスは今年で100周年

1921年 今の叡山電車が開通する以前から出町橋と大原村を結ぶ「洛北自動車」というバス会社が起源になるそうです。大原のほか、洛北に広く路線網を張りました。

叡電開通後(当時は鞍馬線は鞍馬電気鉄道といいましたが、京都電燈の系列会社です。)は、ご多聞にもれず路線競合で乗客争奪戦となり、鞍馬電鉄に買収されることで収束しています。

同様のことは嵐山でも起きていて嵐山電気鉄道(今の嵐電でやはり京都電燈の系列会社でした。)が、嵐山自動車を買収しています。

これら京都電燈の京都府下の系列のバス会社をひとまとめにして発足したのが京都バスになります。
親会社の京都電燈は、戦争中の配電事業の統制のため、関西配電→今の関西電力となり、
残った鉄道部門が京福電鉄→今の嵐電・叡電・えちぜん鉄道 自動車部門が京都バス(京都府)・京福バス(福井県)になっています。

えちせん鉄道や、京福バスはどちらも遠く福井県に路線を持ちますが、
これは京都電燈が電力消費者として遠く越前の羽二重織工場に送電するため
当時としては格段に長く高圧の京福送電線を作ったことが発端で、
福井県でも鉄道・バス事業をやっていたためです。

えちぜん鉄道は第3セクターに譲渡され、今では資本的なつながりもありませんが、
歴史を辿ると遠い遠い親戚ということになります。

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コメント (5)

  • キューチャン

    nossさん
    ☆ありがとうございます。

    2021年11月14日 06:49 キューチャン (36)

  • kame

    なるほど〜そういう歴史があって京都バスは洛北と嵐山の路線が充実しているのですね。

    >京都電燈が電力消費者として遠く越前の羽二重織工場に送電するため
    当時としては格段に長く高圧の京福送電線を作った
     後々の世では逆に福井の原発でお世話になったということですね。

    2021年11月14日 10:17 kame (12)

  • キューチャン

    kameさん
    ☆とコメントありがとうございます。
    「京福」の名前は嵐電の正式な社名である京福電気鉄道に残っていますね。
    また今の叡山電車が京福電車の一員だったことは、
    叡山電車で唯一の事業用の電動貨車1001号車や
    http://photozou.jp/photo/show/251552/238183666
    鞍馬駅にカットボディーが残されている21型電車
    http://photozou.jp/photo/show/251552/268977741
    の塗装が、
    嵐電の最古参の301号車と同じ塗装で残っていることぐらいでしょうか。
    http://photozou.jp/photo/show/251552/262753972

    さらに京都バスも京福電車の系列だったことは、
    京福電車の一員である福井県の勝山永平寺線(今のえちぜん鉄道)を走っていた古い電車の塗装が
    http://photozou.jp/photo/show/251552/253652637
    何と京都バスと同じだったことなんかで見てとれます。
    (福井市内を走っている京福バスは今も京都バスと同じ顔して普通に走ってるようですね。)
    http://www.agui.net/imglog/10/img-box/img20050830114440.jpg

    2021年11月14日 23:28 キューチャン (36)

  • キューチャン

    フーテンのふさん
    ☆ありがとうございます。

    2021年11月14日 23:30 キューチャン (36)

  • キューチャン

    みなみたっちさん
    ☆ありがとうございます。

    2021年11月14日 23:30 キューチャン (36)

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